東京高等裁判所 昭和50年(ネ)1580号 判決 1977年5月31日
控訴人
国
右代表者
法務大臣
福田一
右指定代理人
小沢義彦
被控訴人
安藤愛子
外一名
右両名訴訟代理人
松永渉
外一名
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人は「原判決を取り消す。本件訴を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上、法律上の主張および証拠の提出、援用、認否は、左のとおり附加、補正し、なお本件土地の範囲特定のため原判決添付図面の斜線部分に該当する部分の実測図を添付するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これをここに引用する。
(控訴人の主張)
一、確認の訴においては、いわゆる即時確定の利益が必要であり、その利益は、被告において原告の権利を争い、あるいは自ら権利者であると主張するなどの態度に出ることにより、原告の権利状態に危険、不安など現実の不利益を及ぼすおそれが現在すでに存在し、これを即時に確定判決によつて除去する必要がある場合に認められるものである。しかし、本件において、控訴人は本件土地が自己の所有に属すると主張したり、あるいはこれが被控訴人ら以外の第三者に属するとして被控訴人らの所有権を積極的に否認したりしているものではないのであるから、右確定の必要はなく、被控訴人らには控訴人を相手どつて本件土地所有権の確認を求める訴の利益は存しないというべきである。
二、登記簿の存しない土地について登記簿をおこそうとする場合には、実体上の物権変動を正確に表示すべき役割を負わされている登記簿の性格上、真実の前主との間になされた所有権確認判決こそが不動産登記法上の所有権を証する書面となるところ、本件土地は、千葉地方法務局市原出張所に備えつけられている旧土地台帳附属地図では無番地の土地となつているが、右地図を作成するにあたつて一筆毎に土地丈量を行なつた結果を記載した野帳および図面によれば、丈量が行なわれた明治七年頃、本件土地は市原市八幡字南町九九七番の土地に含まれ、訴外妙長寺の所有に属する田および畑とされており、いわゆる脱落地あるいは無主物として国庫の所有に属するものではないことが明らかである。したがつて、被控訴人らの先代ないし先々代等が取引あるいは取得時効により本件土地の所有権を取得しているのであれば、被控訴人らは訴外妙長寺を相手どつて所有権確認訴訟を提起するのが相当であるといわなければならない。
三、本件土地の実測結果およびその占有に関する被控訴人らの主張事実は知らない、
(被控訴人らの主張)
一、控訴人は本件土地が訴外妙長寺の所有地であると主張して被控訴人らの所有に属することを認めず、結局、被控訴人らの本件土地に対する所有権を争つているのであるから、被控訴人らの本件土地に対する権利状態に危険、不安定など現実の不利益を及ぼすおそれは現在すでに存在する。そして、土地の所有者は所有者であることを公示するために登記をする権利ないし利益を有している筈であるが、現在の登記制度上被控訴人らが本件土地に対する所有権登記をしようとすれば、国に対する所有権確認の判決または判決と同一の効力を有する和解調書等によつて所有権を証するほかに途がない以上、本訴につき、確認の利益が現実に存在するものと認められるべきである。控訴人は訴外妙長寺を相手どつて訴訟を提起すべきであると主張するが、その主張の前提をなす野帳の記載内容の正確性を担保するものは何もないのみならず、右記載によつても、本件土地が妙長寺の所有していたという九九七番の土地の一部であつたものとは認められないので、同寺に対する勝訴判決によつては、実際に登記はできない
二、被控訴人安藤義和の父(被控訴人安藤愛子の夫)安藤義次は、家督相続をした昭和一六年一〇月一六日から所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件土地の占有を継続したから、二〇年を経過した昭和三六年一〇月一六日、取得時効の完成により本件土地の所有権を取得した。よつて、被控訴人らは右取得時効を併せ援用する。なお、本件土地の実測結果は別紙実測図のとおりである。
(証拠関係) <省略>
理由
<証拠>を総合すると、本件土地は、千葉県市原市八幡字南町九九六番二および九九七番四の東側にあり、その地積および形状は別紙実測図記載のとおりであるが、千葉地方法務局市原出張所に備え付けられている旧土地台帳附属地図上には、原判決添付図面記載のとおり、本件土地が無番地の土地として表示されており、本件土地に対する登記は存しないこと、本件土地の現況は宅地であり、その地上には被控訴人安藤義和の父、同安藤愛子の夫である安藤義次(昭和四〇年五月一三日死亡)の先代安藤常太郎が昭和初期に建てた二棟の建物が存在しており、安藤義次は昭和一六年一〇月一〇日に常太郎の死亡に伴い家督相続をして以来、本件土地および地上の建物を、常太郎名義で所有権取得登記のなされていた西隣の前記九九六番二、九九七番四の土地とともに、右相続によりその所有者となつたものとして自己の管理下におき、地上建物を第三者に賃貸して使用させ、もつて本件土地の占有を続けて来たこと、右義次の占有に対し何人からも異議の出た事実は存しないことが認められる。しかし、本件土地の所有権が安藤常太郎ないしその先代安藤源太郎に帰した経路およびその取得原因を明らかにしうべき証拠は何も存しないから、真正な権利のあることを理由とする登記申請の前提として所有権の帰属が問題となつているものであることが弁論の全趣旨により明らかな本件のような場合においては、後述のとおり他に所有権者と認めうべき者は存しないとはいえ、現実の支配関係のみから直ちに本件土地がもともと常太郎ないし源太郎の所有に属していたものとして、無条件にその相続人らが所有権の主張をなしうるものとされるべきではなく、かような、真実の権利者を明らかにしえない登記洩れの土地については、これを無主の不動産として国庫の所有に帰したものとしたうえで、占有者において取得時効の要件を充足する場合に限り、右時効の援用による占有者の所有権取得を認めるのが相当というべきである。そして、本件においては、右に認定した事実関係によるときは、安藤義次が二〇年間所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件土地の占有を継続したものと認められるから、右期間の満了する昭和三六年一〇月一〇日の経過とともに義次がその所有権を時効取得したものというべく(被控訴人らが義次の相続人として本訴において右時効を援用したことは訴訟上明らかである。)、<証拠>によると、被控訴人らは、法定相続分に従つた主張どおりの割合で義次から共同相続したことにより、本件土地の共有者となつたものと認めることができる。
控訴人は、明治初年頃においては本件土地は九九七番の土地に含まれ、その所有者は訴外妙長寺であつたと主張するけれども、その主張の前提をなす野帳(乙第一号証の一、二)および図面(乙第二号証)については、その作成の経緯が明らかでないうえ、<証拠>によると、右図面が野帳の附属図であるか否かも疑わしく、<証拠>と対比するとき、右書証によつては、本件土地がかつて九九七番の土地の一部に属していたこと、あるいは訴外妙長寺の所有に属していたことを認めるには足りないといわざるをえない。そして、他に本件土地につきその本来の所有者を明らかにしうべき証拠は何ら存しないので、本件土地を所有者不明の登記洩れ地としてした前記判示の前提事実を動かすことはできない。
以上に判示したところによれば、本件土地は無主の不動産として国庫の所有に属していたところ、安藤義次が取得時効によりその所有権を取得したものと認められるが、控訴人国においては右安藤義次の時効取得を本件訴訟上においても認めないのであるから、安藤義次から相続により本件土地の所有権を取得した被控訴人らは、もとの所有者である控訴人に対して本件土地に対する所有権の確認を求める訴訟上の利益を有するものというべく、これを否定する控訴人の主張は採用しえない。ちなみに、本件訴訟によつて被控訴人らに所有権確認の判決が与えられるときは、不動産登記法一〇〇条二号所定の判決として、これにより本件土地につき保存登記の申請をなしうべきこととなるものと解される。よつて、被控訴人らの本件土地に対する各所有権確認請求を認容した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。
(室伏壮一郎 横山長 河本誠之)
実測図<省略>